向日葵の彩度

暴力のブログ

引っ越した。

 入社してそろそろ半年が経とうとしている。いよいよ業務もふんわりと忙しくなってきた。そういうこともあって、愛する鎌倉を離れることにした。新居に越してきて、今日でおおよそ一週間ほどになる。

 一週間というのは、生活の節目としては中途半端なタイミングだろう。新生活に対するフレッシュな感情はちょっと落ち着いているし、新生活そのものについて語るにはまだ足元が覚束ないにもほどがある。現に、自分が新居にやってきた時刻はもう忘れてしまったのに、自炊した回数は二回しかないし、机も椅子も満足に用意していない。

 とはいえ、こういうものはタイミングを見計らうといつまでも先延ばしできてしまうものだから、とりあえず引っ越した旨を今日書き留めておこうと思う。

 

 引っ越した、とは言っても、一人暮らしを始めたわけではない。大学時代から宅飲みでお世話になったり、終電を逃した際に逃げ込ませていただいたりと、散々ご迷惑をおかけした先輩のお宅に、転がり込ませていただいている。いわゆるシェアハウスというやつだ。もっとも、いわゆるシェアハウスではあるのだけれど、いわゆればシェアハウスというだけで、世間一般が「シェアハウス」という言葉を見聞きした際に期待する諸々のキラキラとした何かとは、きっと大きな開きがある。住んでる部屋畳だし。どちらかといえば下宿にニュアンスが近いのかもしれない。

 

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  これは高校・浪人時代通っていた地元のラーメン。私が引っ越すとTwitterで聞きつけた高校時代のマブダチ*1に誘われ、最後のお礼参りをした。「豚骨で、しょっぱくて、油が多いから」という理由で無条件に降ってきた恍惚を、今やもう覚えることはできず、マブダチとは「お互い歳をとったよな」という結論に落ち着いた。別れの感慨のようなものはなく、味としても思い出としても実にしょっぱいものになったけれども、私たちらしくてとても良かったと思う。

 

 インターネットで散々ぱら鎌倉への愛を語り、プリキュアの背景にそれらしいカットが一瞬でも写れば即座に「今年のプリキュアの聖地は鎌倉だ」と宣言する程度には、郷土愛の強い人間だ。そういうわけで、鎌倉を発つにあたって大きな心の動きがあるのかなと勘ぐっていた。

 ほんのり目に涙を滲ませながら、haruka nakamura PIANO ENSEMBLEの『光』(アルバム『音楽のある風景』に収録されている方)の8分10秒からラストまでの約6分半をBGMに、新居に向かう車窓から外を覗き見れば、きっと最高にお話としてハマるに違いない。

 残念なことに、そんな下心は見事に潰えて、道中はただひたすら荷物の多さに対するダルさが渦巻いていた。ダレる自分のケツを叩くべく、ダークソウル3のサウンドトラックから奴隷騎士ゲール戦の曲を引っ張り出す始末だった。*2

 

 転がり込み方も、地元の発ち方も、色々と格好がつかなかった。きっと、新しい街での生活も、格好のつかない、ままならないものになるだろう。現に、今は枕を調達できていないので、適当に毛布を丸めてその代わりとしている。格好がついていない。でも、たぶん、それでいいのだと思う。思えば自分の人生に格好のついていた瞬間というものは一秒たりともなかった。自分の身の丈にあった程よいダサさを愛でてやりたい。

 

 今日は新しい街でアイスコーヒーを飲んだ。髪を切った。

 ツーブロックはいつもより大きく剃り込まれていた。これからしばらくは、同じお店でアイスコーヒーを飲むだろう。冬になったらホットコーヒーを飲むだろう。毎度毎度違うサイズの剃り込みを入れることだろう。たぶん、それでいいのだと思う。

 

 

*1:浪人時代地元のカラオケに昼間からこもってはボイスチェンジャー機能を使ってPerfumeの『マカロニ』を歌いあった男。「どっちか片方だったら絶対俺らヤりまくってたよな笑」というおよそ人の交わしうる中で最も美しいコミュニケーションを培ってきた

*2:余談だが、私は「この人死ぬな」「この人ともう二度と会うことないな」と思った帰りには必ずharuka nakamura PIANO ENSEMBLEの『音楽のある風景』に収録されている『光』の8分10秒からラストまでの約6分半を繰り返し聴くことにしている

haruka nakamura PIANO ENSEMBLEのコンサートに行ってきた。祈りの話。

タイトルの通り、先日(21日)haruka nakamura PIANO ENSEMBLEのコンサートに行ってきた。

場所は東京カテドラル聖マリア大聖堂。凄まじい名前だとは思う。

 

今回のコンサートはharuka nakamura PIANO ENSEMBLEとしての活動を締めくくるものだった。けれども、コンサートの感想や、haruka nakamuraのアーティストとしての歴史をこの記事で書くつもりはない。音楽の感想文やアーティストの評論より炎上しやすいものは、野球と政治と宗教とセクシャリティと特撮と創作精神論と年収と体育会と広告代理店と田舎の話を除いてはそうそうないだろうし、何よりharuka nakamuraは素面で語るにはあまりにも気恥ずかしぎる。インタビューやライナーノーツで頻出する語彙が「光」「闇」「祈り」と言えば、こう、正気のまま語ることの難しさを察していただけると思う。

 

で、何の話をするかといえば、タイトルにある通り、祈りの話になる。具体的には教会の長椅子の話だ。

 

教会には椅子がある。教会は人が集まって話を聞いたり、祈りを捧げる場所であるから、座るための機能を持っている方が都合がいいのだろう。人間が長時間何かと向き合う空間は、座れた方がいい。東京カテドラル聖マリア大聖堂もご多分に洩れず、椅子がある。

映画館で映画を観るたびに、荷物の置き場に迷う人は、少なからずいると思う。椅子と椅子の間の狭いスペースを通って自分の席へ向かう人のために、どう脚や荷物を避ければお互いにとって心地よいのかわからない人も、少なからずいると思う。

複数の椅子が複数の列を作っている場では、どうしてもこのような問題がつきまとう。

 

コンサート会場になった聖マリア大聖堂も、人間が長時間何かと向き合う空間であり、複数の椅子が複数の列を作っている空間だった。

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*1

 

こういった感じで、長椅子と長椅子の間に、平行するようにして板が渡されていた。

この板と前列の長椅子の間に荷物を置く人もいれば、板に足を乗せてくつろぐ人も、血流が滞るのを防ぐために板から足を下ろす人もいた。姿通路から列中頃の座席を求める人は、この板の上を歩いていく。既に座っている人は、足を板に乗せてさえいなければ十分相手に譲ったことになる。座る人も、座ろうとする人も、行動に迷う余地がなく、気まずさはどこにもない。

 

私はこの椅子を見て、正直、ちょっと泣きそうになった。

道具は必ず機能を持つ。エアコンであれば空間を冷やす。ドリルであれば物を削る。

機能とは現状や潮流に力を加えて、「暑くない空間」や「物を留める穴」、といった、「ありたき姿」を実現するものだ。つまり道具は、「かくあれ」という祈りが形をとったものと言えるだろう。

そうでなくても、道具を手に取る際、人は必ず何か願いを抱いている。道具が設置される時は、他者の祈りへのいたわりが、必ずそこにある。

 

人が長時間何かに向き合うために作られた教会という空間で、人が長時間何かに向き合うにあたり、余計な迷いを持たずにすむよう、幾つもの機能を託された長椅子。私はそこに祈りを見出さずにはいられなかったし、こんなに美しいものがあるのかと、コンサートの間もずっと泣きそうな思いになっていた。

気の利いた道具を見た際に覚える感動は、きっと真摯な祈りを目の当たりにした時に覚えるそれに、近いのだろう。

 

*1:椅子図解。かわいい。

名古屋全握行ってきた

お前はアイドルの握手会に行ったことがあるか?俺はある。

欅坂46の握手会に行ってきたという話。

 

入社までは「絶対社会人になったら弊社の最高の研修制度でゴリゴリに心を壊されたあとに、最高の社会人マインドを注入されて感情のない最強の企業戦士になりたい」という思いしかなかったものの、いざ社会人生活が始まってみれば、心にヒビすら入らないまま一月が経ってしまった。ようは賃金が出た。

 

そもそもの経緯

アyイドル文化に触れた経験はあまりなく、強いて挙げるなら小学生時代に見た同級生のSPEEDごっこくらいで、あとはマジすか学園でチョウコクのカッコよさにキャーキャー言ったことがあるという程度だった。チョウコクは本当に素晴らしいと思う。喧嘩に勝つたびに百人一首のかるたを一枚ずつ置いていく強い女を好きになるのは、おかしいことではないし、逆にそうでないからといって病気というわけではありませんと保険の教科書にも書いてある。

 

そんなアイドルに文化に疎い私だけれども、信頼できるオタク(ここで言うオタクとはインターネットを介して何らかの繋がりを持ったすべての人間を指す)達に徳誰を薦められるままに見てみたところ、それはまあ見事に齋藤冬優花さんと守屋茜さんに転んでしまった。

Amazon CAPTCHA

(アマゾンプライム会員ならタダで見れるから、みんな齋藤冬優花さんと守屋茜さんをよろしくね)

 

それでもって握手会だ。アイドル文化にコミットしてこなかったのだから、当然握手会に参加したこともない。私にとって握手会とは、非実在キャラクターの架空のレポ漫画で目にするものであり、生身の私が生身の人間に触れるイベントではなかった。

 

 とはいえ、ブレイクスルーというものはあっさり起こるもので、オタクとのスカイプ中に「暴力ちゃんも握手会行けば?」「あっ、確かにそっすね」という話になり、その場でCDを四枚購入した。今までコミットしたことがあろうとなかろうと、CDを買ってしまえば握手する権利は与えられるのだ。初任給って最高ですね。「幕張より名古屋の方が時間的に余裕あるよ」というアドバイスもあったので、とりあえず名古屋に行くことにした。社会人マネーは最高。

 

握手会前日

飲み会からそのまま新幹線で名古屋に行き、サウナと浴場付きのカプセルホテルに泊まる。学生時代はとにかくお金がなかったため、『外泊』といえば泥酔して流れ着いた全然知らない街でネットカフェか24時間営業のファミレスを探すイベントのことを指していたけれども、今の私にはベッドで眠るだけの金がある。社会人は最高。

浴場には半身浴用のスペースがあり、僧侶と交わる色欲の夜にみたいで楽しかった。

 

握手会当日

謎の気合が入り、ウィダープロテインのやつで気分を盛り上げていた。 電車に乗ったらオタクの人がいっぱいいたので、ついていったら会場に辿り着けた。当日はあいにくの雨。雨の湾岸で震えながら開場を待つ様は、さながら寒さに耐え忍ぶペンギンのようであったに違いない。

 

・ミニライブ

開幕不協和音。生まれて初めてアイドルの方々を生で見る。遠くからだし、オペラグラスもなかったのだけれど、なんか感極まって涙が出そうになった。MCパートでね。齋藤冬優花さんがね、お話をしていたんですよ。。。。。気が狂うかと思った。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

最後のW-KEYAKIZAKAの詩が良すぎて、なぜか愛社精神が高まった。社会人の皆さんは勤め先の会社とステイクホルダーのカップリングのイメソンを考えてると思うけれど、弊ステ(弊社グループ×ステイクホルダー)のそれは絶対W-KEYAKIZAKAの詩だと思う。これはふざけているんじゃなくて、私はマジです。

W-KEYAKIZAKAの詩が自カプ(弊ステ)に刺さりすぎて感動しまくってたら、ミニライブの他の楽曲の記憶が吹き飛んでいた。終わってから10分くらい経ってからだんだんと心に余裕が出てきて、「微笑みが悲しいのてち&ねる(公式表記)なに???????????????????」という気持ちや、「エキセントリックかっこよすぎん??????????????????????????????」という気持ちがふつふつわいてきた。てち&ねる(公式表記)ってなに?????なんもわからん。。。。。。。。。。。。

 

・握手会

初手齋藤冬優花さん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ギリギリまで「え?俺が齋藤冬優花握手するの?マジ?」という気持ちがぬぐえず、女の子とは言わずともせめて男子中学生になりてえとずっとtwitterに投稿していた。

で、実際握手してからの私の反応は以下になります

 

 

 

 

 

キツイ。

でも齋藤冬優花さんはね、やっぱスゴイよ。。。。。。。。。。。。剥しまでの短い間にとても気さくに応対してくれてね、ほんとにスゴイのよ。。。。。。

あと至近距離で見るアイドルめっちゃ顔が小さいし目が大きい。すごい。握手終わって出てきた中学生くらいの女の子たちも「顔ちっちゃかった~~~」「目大きかった~~~~」って騒いでた。わかる。

 

守屋茜さん

 なにこいつ。

鬼軍曹と呼ばれていたり番組での勝利へのこだわりだったり、ともかくすべての要素が良すぎて無理なってしまう守屋茜さんだけれども、握手会での笑顔がステキすぎて無理だった。

 

平手友梨奈さん

え、私が平手くんと握手できるの解釈違いなんだけど、、、、、、、という思いを抱えたままレーンの手前まで行ったら、「今日は声が出ないから無言の応対になるんでよろしく(要約)」という紙がぶら下がっていて、そのあまりの迫力に思わず並んでしまった。激カッコイイ目線で知られる平手さんも、当たり前だけれども握手会だと人を殺すような表情をしていなかった。それだけで感極まってしまって、また泣きそうになった。

 

帰宅

握手会当日の夜は東京で飲み会があったので、券の買い足しはせずにそのまま新幹線へ。オール明けにムーンライト見たり上野博物館で陶器を見るなりしていたら、家に帰ってパソコンを開くまでに丸一日以上が経ってしまった。

握手会は、ただ突っ立って歩いてるだけの私ですら結構体力を使った。丁寧に応対するアイドルの方々の集中力と体力の凄まじさには感服してしまう。

アイドルはすげえよ。。。。。。。。

絶対また齋藤冬優花さんと握手したい

 

ちなみにこれは握手会会場を出た直後にしたツイートです

海 on Twitter: "握手会レポ🦁女甲冑騎士さん
「ほう?私のレーンに並ぶとは。物好きもいたものだな」
「わ〜!あれやってください、私とて〜」
「私とて騎士の端くれ。人である前に、一振りの剣だ。そういうものだろう?」
「〜〜///」
「お時間です」
「拾った命だ。あがくことだな」
(その間手を離さず)"

 

なにこいつ

#読書週間だからRTといいねの数だけ好きな本を紹介しよう のやつ

ブログの存在を忘れていた。人間は投げ出したブログとプログラミング教本の数だけ強くなれるとも言う。こういうものをやってみると、意外と自分が好きな本って思い出せないものだなと驚かされる。やっぱり読書メモというものは必要ですね。

以下がハッシュタグのあれです

 

シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』 ナチスが台頭する中、ブラジルへ亡命したユダヤ系オーストリア人が描いた輝かしき”ヨーロッパ”の回想録。グランドブタペストホテル、君の銀の庭

 

小川一水 『天冥の標』シリーズ ただただ面白い。疫病

 

伊藤計劃 『ハーモニー』 原作では子宮にリボンがついてない

 

冲方丁 『マルドゥック・ヴェロシティ』 カトル・カールロックマンXのボス選択画面パロ

 

月村了衛『機龍警察』 人間の感情

 

ウンベルト・エーコ薔薇の名前』中世の修道院で発生した連続殺人事件をフランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムとベネディクト会の見習修道士メルクのアドソが解決するというガワの部分だけでも優勝している小説。

 

タイラー・コーエン『大格差』 テクノロジーによって生み出される格差の拡大と中流階級の消失。もはや平凡そのものの指摘だけれど、引き合いに出される事例が脳に良い

 

ネイト・シルバー『シグナル&ノイズ』 マネーボール的な。ちょっと前に流行った統計の話。渋い事例が無数にとりあげられていて、脳にいい。

 

ケヴィン・ケリー『テクニウム』WIREDで知った本です。みなさんはWIREDで知りましたか?

 

ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた』たのしいかがくよみもの

 

リチャード・プレストン『ホット・ゾーン』 ヨハネの黙示録が引用されているタイプのエボラ本。ちょっと昔の本なので倫理的によくないレベルで抒情たっぷりに、煽情的にエボラ出血熱を描写している。

 

ジョン・バリー『グレート・インフルエンザ』 1918年インフルエンザ流行本。疫病についてのドキュメンタリーはしばしば怪獣映画さながらの魅力的な立ち上がりを伴うもので、これも例外ではない。

 

デフォ― 『ペスト』 ペストで人間が死にまくる最高の本

 

カミュ 『ペスト』 ペストで人間が死にまくる最高の本

 

NHK報道局「カルロ・ウルバニ」取材局『世界を救った医師』 SARSで人間が死ぬ本。

 

吉村昭『破船』 天然痘で漁村の人間が皆殺しにされる本

 

チャールズ・ストロス『アッチェレランド』2012年ごろに発表された人工知能すごい本を読んでて自然に思いつくようなネタからさらに踏み込んだようなものを描き切った2006年ごろの本(すごい)

 

トム・ヒレンブランド 『ドローンランド』 デティールの手つきめちゃよしSF。EU離脱ネタと、何かとタイミングが良い。WIREDでも取り上げられていました。当然みなさんはWIREDより先に読みましたよね?

 

J・G・バラード『溺れた巨人』 海岸にある日突然巨人の溺死体が座礁する話。わかりがある

 

テッド・チャン『あなたの人生の物語』地獄とは神の不在なり という世界一かっこいいタイトルの短編が収録されています。

 

スタニアフ・レム『ストーカー』ロシア語学科ぽくない?

 

V・モーイェフ『コンピューターと社会主義ソ連サイバネティクス研究所の所長ヴィクトル・ミハイロヴィッチ・グルシコフと、記者のヴィターリー・アレクサンドロヴィチ・モーイェフによる、ソビエト連邦の経済とコンピュータの利用についての対談集。計画経済と計算機械は相性がよく、需給の適切なマッチングができれば計画経済ならではの困難を解決できるといった内容を語っている。当然実現はしなかった(悲しい)

 

ドストエフスキー『悪霊』ロシア語学科ぽくない?

 

渚にて』かっこいい詩が引用されるSFは名作

 

円城塔Self-Reference ENGINE』黄色い本

 

高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』いいよね

 

ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』ローティーン時代にこういうものを経由しておかないと、一生アニメを見ながら「ここで(残酷な事象)したら面白いのに」と言い続けることになる

 

ハンナ・ヴェルテン『ミルクの歴史』ミルクの歴史。渋い事例がめちゃくちゃ豊富で脳にいい。障害と疫病が一番好きな現象なのだけれど、その次は食品偽装かもしれない

 

太宰治 『駈込み訴え』別に太宰推しというわけでもないのだけれど、これも好き。本当にいい。イエスを銀貨三枚で売ったユダによる独白。やっぱ同性へ向けた尊敬と愛と嫉妬とが煮詰まりに煮詰まった憎悪なんだよな。ちなみにNHKが女子高生のボランティアサークルの話として映像化している。皆様の公共放送

 

フレッド・デーヴィス『ノスタルジア社会学』例の如く渋い事例の沢山載ったご本。

 

カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史―サバトの解読』ユダヤ人とハンセン病患者が虐殺されるまでの過程が取り上げられている章があり、とてもいい

 

北條民雄『いのちの初夜』いわゆるハンセン病文学。その金字塔。

 

今和泉 隆行『みんなの空想地図』想像で作った街の地図。その制作過程と実物。愛くるしくて愛くるしくてしかたがない一冊。

 

原武史『滝山コミューン一九七四』郊外の団地の小学校を舞台にした『新しい教育』をめぐるドキュメンタリー。著者の日教組への恨み節が全開。普通なら偏ったつらい読み物で終わったのだろうけど、著者は『団地』という空間の特異性と紐づけて話を進めていく。とても脳にいい

 

サラ・ウォーターズ『半身』 ヴィクトリア朝×パノプティコン×君の銀の庭×女性同性愛

 

チャイナ・ミエヴィル『ジェイクを探して』 わかりがある。特に表題作がね、わかりがあるんですよ。これはツイートしたこともあるのだけれど、表題作と全く同じ質感の恐怖、悲しみ、喪失感を、俺はタマ姉のフィギュアや一度凍ってしまったキャベツに抱く。同じ形を保ったままに起きた、不可逆的な意味の変質。そうした静かな世界の滅亡の予兆は、冷蔵庫と中古フィギュア屋にある

 

ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』暴力。暴力。暴力!!!!!!!メキシコ麻薬戦争モノ。実在する組織や現実にあったエピソードがドカドカ出てくる。

 

デイヴィッド・ピース『TOKYO YEAR ZERO』小平事件。物凄い不潔。文体が異常にかっこいい。呪詛。ちなみに日本語訳版のプロモサイトは開くと自動で玉音放送が流れる本物のコンテンツ

http://www.bunshun.co.jp/tyz/index.html

 

佐藤亜紀ミノタウロス』共産革命期東欧が舞台の小説で、潤沢な情景描写にも関わらずリーダビリティがとてつもなく高い異常な小説。おそらくは「ただたんに圧倒的に文章がうまい」というやつで、つまりこの小説を読んでも現時点の俺には何も技巧を盗めない。留学先の東欧の小さな国で読んだのが思い出深い。

 

藤井太洋アンダーグラウンドマーケット』ビットコインというか仮想通貨というか。原宿界隈が舞台になっており、個人的に馴染み深い土地であり、かつ普段想像している「嫌な質感の至近未来」にかなり近いというのもあって、妙な気に入り方をしている

 

長谷敏司BEATLESS』「なんで人型ロボットなの?」「なんで空から落ちてくるのは顔のいい女なの?」という問いかけへの答え。アナログハック概念は一つのブレイクスルーだと思うんだ。

 

『ダークソウルシリーズのフレーバーテキスト』 この世で最も信頼できるもの

半身(サラ・ウォーターズ)を読んだ

たすけて